2017年 02月 04日
立春 |
年末に入った報せ
「みんなが大好きだった人が、この秋に逝ってしまったよ」
一番かわいがってもらってた友だちから
自分の誕生日がその日だったってメールが来た
爆弾を抱えながら、それでもいつも前向きで、いつも人のことを気にかけてくれていたお姉さん
一緒に仕事をしているときは私のことを
お互いに辞めてからはおちびのことも
私たちはまるごとかわいがってもらった
どうしてるかな、なにしてるかなって、日々過ごす中でふと思ってはいても
だんだん具合が悪くなるにつれて、連絡できなくなってしまっていた
身体がしんどくても、鞭打って明るい返事をしてくれる人だったから
手紙やメールを出せば負担になるよなぁって思ったから
でも本当は、どんな言葉で何を書いたらいいかが見つからなくて
苦しくなって、連絡できなかった
薄情だよなぁ
最後に会ったのは4年前、おちびの定期検診の病院だった
偶然、同じ病院だった
どちらの地元でもない、少し遠くの病院
彼女は翌日に手術を控えて入院していて、おちびの定期検診が終わったら、見晴らしの良い食堂で会う約束をしたんだった
何度も手術をしたせいで耳が聞こえなくなっていて、筆談で3人でお喋りして
お喋りが盛り上がっちゃって笑っちゃって、文字を書くのがもどかしくて、すっごい汚い字で筆談したんだったなぁ
その後「ひとりでは外出が難しくなったから、遊びに行けなくなっちゃった」と、メールが来て
そこからはメールだけのやり取りになって、だんだんそれも途切れ途切れで
罪滅ぼしみたいに、修道院でのお祈りの会では毎回お祈りをして
小さなロザリオを作ってシスターに祝福してもらって、手紙と一緒に送ってみたりしたけど
会いに行けばよかったのかなぁ
お日さまのような人で、会っていなくてもそばで声がするような人だった
だから、いなくなった気がしないよ
みんながおんなじ気持ちだった
受け入れられないというか、信じられないというか
そんなふわふわした感じで
季節が動いたあたたかな立春の午後、お家にお邪魔してお線香をあげさせていただいた
お父様がたくさんのお話をしてくださって
ああ彼女のお父様だなぁって、このお父様だからあのお姉さんなんだなぁって
素敵すぎるご家族だった
車椅子になっても、手摺を使ってできるだけ歩き、お料理もしていたそうで
お家はあちこちに手摺がついていた
使っていたPCや、彼女が好きそうないろいろがそのままそこにあった
ねえさん「洋服がたくさんあってねぇ〜。困っちゃって。」ってお父様が笑ってたね
「おしゃれだったもんねぇ」ってみんなで笑ったとき、ねえさん隣にいたでしょ
帰るときお父様が「日頃の行いがいいから良いお天気になったんですね」っておっしゃったけど、ねえさんがそうしてくれたんだよねって、みんなで話してたのも聞いてた?
ちゃんと大事に生きてかないと、叱られそうだよね
昼休みにこっそりカップヌードルを啜る私に「まーたそんなもの食べてる!」って叱ってた感じで
ねえさんが安心するように、私たちはちゃんと生きてくよ
また会うときまで、見ててね
by sasaburou
| 2017-02-04 23:54
| ひとりごと